ようこそ、磐田の小林丈司(コバヤシジョウジ)のホームページへ!どうぞ、楽しんでいってください。

1%の可能性

a:1676 t:1 y:0

この話はmixiからそのままコピーさせていただきました。どうぞ元気をもらってください。

☆1%の可能性

はじめてトピックたてさせていただきます。

私の過去を辿ると、何でと思うほど試練が多い人生です。
10才の時に父を亡くして直後祖父が亡くなり、24才のとき母が亡くなり当時弟は高校3年生、結婚して子供に恵まれ順風満帆に行くと思っていたとき、主人の勤めている会社が突然の倒産。
やっと、生活が落ち着いたとき8ヶ月になった子供を亡くしました。

でも振り返ってみて私はラッキーな人生だと今は思えます。

一度に書くのは無理なので、今回のトピックには父と母のことを書きたいと思います。

私が小学校3年の終わり2月、まだ寒い時期でした。
学校から家に帰ると1通の書置きがありました。

お父さんが倒れました。
救急車で病院へ運ばれます。
先にご飯食べておいてね。
  お母さんより

夜、母が帰って来て私たち兄弟を座らせて
「お父さんは胃がんという病気でした。明日お父さんから話しがあるからみんなで病院にいきます・・・」
と言われましたが私にはガンがどういうものなのか理解できず悲しみはまったくありませんでした。

次の日病院へ行くと、父は私たち兄弟を並べて真剣な目で3人をみつめ
「お父さんは99%助からないと言われた。でも1%の可能性にかけてみようと思う。お前たちはしっかりとお父さんの背中を見なさい。」
父の真剣なまなざしにただ事でないと言うことを始めて感じました。

それからが、父と母の闘いでした。
後で聞いた話しでは、洗面器2杯くらいの吐血をして運ばれ、開いてみると腸や肺にも転移していて手の施しようもないのですぐに閉じられてしまったと言うことでした。

父が入院してから半年がたった8月、初めて我が家に一時退院してきました。
これが父の最期の退院になりました。
このとき父が撮った母と兄弟の写真がたくさん残っています。
父はどんな気持ちでファインダーを覗いていたのかと思うと胸がつまります。
夏の終わりに父は病院へ帰っていきました。

それから2ヵ月後の10月12日の夜。
母が病院を後にして家路につこうとしたとき、父が
「体が軽いんだ。明日退院できるように先生に話してくれないか?」
先生はOKを出してくださりました。

次の日の早朝、父は我が家に戻ってきました。

2時間目の授業中、先生が私のところへやってきてすぐ家に帰るように言われました。
家に着くと、父の兄弟。父の友人。たくさんの人が家に訪れていました。

父は友人、兄弟、みんなと握手していました。
そして私たち兄弟を枕もとに呼び一人づつ布団に入れて抱きしめてくれました。
当時、一番下の弟は4才の誕生日を迎えたばかりでした。
「お父さんが10まで数を数えるのを教えたな?言えるかな?」
「ぼく20まで数えられるよ!1・2・3・・・20!」
上の弟には
「お前は本当にお父さんの子か!?本当にお父さんの子ならしっかりと勉強しなさい。」
そして私には
「ほんとうにかわいいな・・嫁にはやりたくないよ・・・」

父はとても恥ずかしがりやな人でした、そんな父が母の事を呼んでふっと顔を上げると母にキスをしました。
その時に初めて私たちの前で涙を見せ、泣き崩れました。
父はそのまま眠るように息をひきとりました。
享年38才でした。

母は葬儀のあと私たちに
「お父さんは1ヶ月持つかどうか分からないと言われたのに8ヶ月も生きたの。お父さんはガンには勝てたのよ・・。お父さんは寿命で逝ってしまったの・・。」
そう話してくれました。

そのご、当時の看護婦さんに行き会ったとき
「お母さんは強い人だったのよ。病室でも廊下でもいつも笑顔を絶やさなかった。屋上で歌を歌いながら洗濯物を干しているお母さんを見たらボロボロ涙を流していたの。でも、病室に戻るといつもの笑顔で泣いていたなんて微塵も感じさせない笑顔でお父さんと闘っていたのよ・・・」

父は短い人生だったかもしれませんが、私たち兄弟に大切なことをしっかりと教えていってくれました。

最後までお読みいただきありがとうございました。
きら☆さん、素敵なお話をコピーさせていただきありがとうございました。
           ジョージ

コメント書き込みはこちら!

powered by Quick Homepage Maker 3.61
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional