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北野

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人間は誰だって一番が好きだ。
だけど、競争のない世界に、一番なんてあるわけがない。本当に意味のある仕事で、誰かひとりにしかできないことなんてあるわけがないだろう。負けるヤツがあるから、勝つヤツがいる。
でも負けるのは嫌だから、自分の子供に負けを認めさせたくないから、努力することに価値があるとか、オンリーワンになれる世界を見つけなさいと言う。
競争を否定するくせに、一番ということにはこだわる。 by 北野武
2012/12/12

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ナンバーワンじゃなくていいから、オンリーワンを目指しなさいというのも、考えてみればかなり妙な理屈だ。
オンリーワンになれというのは、あなたにしかできないものを探せということだ。そうすりゃ、競争なんて面倒なことはしなくて済む。つまり、オンリーワンというのは、「誰も競争相手のいない世界を見つけて潜り込めば、あなたも一番になれますよ」と言っているだけのことなのだ。 by 北野武
2012/12/12

分厚い壁が目の前にあれば、子供は放っておいでも、なんとかしてそこから自由になろうともがく。壁をぶちこわそうとするヤツもいれば、壁の下に穴を掘ろうとするヤツもいるだろう。壁の内側に、誰も気づかなかった自由を見つける子供もいるだろう。 by 北野武
2012/12/12

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現代の教育は、まったく反対のことをやっている。子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。 by 北野武
2012/12/12

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どこの国の人間であろうが、サッカーの不自由さは直感的に理解できる。
逆に言えば、ペレとかマラドーナがどんなに凄いことをしているかは、サッカーに詳しくなくても、見れば誰にだって一目でわかる。だから、彼らは世界のスーパースターなのだ。ロナウジーニョのパスやシュートがあんなにも美しいのは、サッカーという枠があるからだ。光と影みたいなもので、不自由な枠の中で戦っているからこそ、自由というものが光り輝くのだ。重力で地面に押しつけられていたからこそ、空を飛ぶことが人類の長年の夢だったように。 by 北野武
2012/12/12

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自由というのは、ある程度の枠があってはじめて成立する。なんでもやっていいよという枠のない世界にあるのは、自由ではなくて混沌だ。 by 北野武
2012/12/12

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全員でリレーをさせて、負けたのは全員のせいだなんて教師が言ったって、ほんとうは誰のせいで負けたのかを、みんな知っている。
さっきの話とまったく同じだ。足の速いヤツは速いし、遅いヤツは遅い。馬鹿は馬鹿だし、ブスはブス。平等なんかじゃないことは、子供の目には明白だ。
なのに、表じゃそういうことを言ってはいけないことになっているから、裏で延々と言い続けてしまう。序列がつけられないから、無抵抗な弱い子を叩いて自分の順位を仲間に誇示しようとする。昔と反対に、弱い者イジメで仲間意識を確認するようになったというわけだ。 by 北野武
2012/12/12

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人間というものは不思議なことに、常にどこかに敵を作らないと、平和ではいられない生き物らしい。外に敵がいなくなれば、身内に敵を作る。平和を願う市民団体同士が喧嘩をしているくらいなのだから。 by 北野武
2012/12/12

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子供の心を傷つけることを恐れちゃいけない。傷ついて、へとへとになって、諦めればいいと俺は思う。欲しいものを手に入れるには、努力しなきゃいけない。だけど、どんなに努力しても駄目なら諦めるしかない。
それが現実なのだということを、子供のうちに骨の髄まで叩き込んでおくことだ。
それが、父親の役目だろう。 by 北野武
2012/12/12

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自分の子供が、なんの武器も持っていないことを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。それじゃ辛いというなら、なんとか世の中を渡っていけるだけの武器を、子供が見つける手助けをしてやることだ。
それが見つからないのなら、せめて子供が世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心を育ててやるしかない。 by 北野武
2012/12/12

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努力すればなんとかなるなんて、おためごかしを言ってないで、子供の頃からちゃんと叩き込んでおいてやった方がいい。人間は平等なんかじゃない。お前にはその才能がないんだと、親が言ってやるべきなのだ。いくら努力したって、駄目なものは駄目なんだと、教えてやらなきゃいけない。 by 北野武
2012/12/12

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ストーカーだってそうだ。努力すれば夢はなんでもかなうなんて教えこまれてるから、いつまでも相手を追いかけ続ける。挙げ句の果てには、自分の気持ちがわからない相手が悪いと決めつけて殺してしまう。
高嶺の花なんて言葉が昔はあったけど、今はそんなこと誰も言わなくなってしまった。
要するに、引き籠もりもストーカーも、世の中には、諦めなきやいけないことがあるってことを知らないのだ。泣きさえすればミルクがもらえる赤ん坊の状態から、ぜんぜん成長していない。 by 北野武
2012/12/12

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なんでも努力のせいにして、人間には本来差があるという現実をうやむやにする。
おかげで今の子供は、その努力すらしないで、夢さえみていればいつかはかなうと思うようになった。
そんな状態で、いきなり社会にほっぽり出されるから、頭がおかしくなる。自分の思い通りにならないことを、何でもかんでも人のせいにする。親が悪いと言っては、バットで殴ったり。社会が悪いんだと言って、引き籠もったり。ワケのわからない新興宗教に夢中になったり。 by 北野武
2012/12/12

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負けたのは、努力が足りなかっただけだ。そう子供に言い続けるのは、見込みのない漫才師志望の若者の耳元で、「頑張れば、いつかは売れるよ」と囁くようなものだ。愛情でもなんでもない。どんなに努力したって、できないヤツはできないのだ。
早い話が、芸能界を目指す人間が1000人いたとして、そのうち何人が飯を喰えるようになるか。せいぜい1人いるかどうかだ。あとの999人は諦めるのが前提なのだ。それでも、努力すれば夢はかなうと言えるのか。そんな馬鹿な話はない。
どうしてそういう無理をさせるのだろう。 by 北野武
2012/12/12

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ほんとうは勝負をさせるべきなのだ。負けて悔し涙を流す子供には「だけど、お前は算数の勉強はできるんだから」とか、フォローの仕方はあるだろう。 by 北野武
2012/12/12

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子供は素晴らしい、子供には無限の可能性がある。
今の大人は、そういうふざけたことを言う。
子供がみんな素晴らしいわけがないじゃないか。
残酷な言い方だが、馬鹿は馬鹿だ。足が遅いヤツは遅いし、野球がどんなに好きだって、下手なヤツはいくら練習しても下手なのだ。
そんなことわかりきっているのに、本気で努力すれば誰でも一流になれる、なんてことを平気で言う。
そうじゃなくて、才能のある人間が、誰よりも努力をして、ようやく一流になれるかどうかという話だ。イチローと同じ練習をしたら、誰でもあんな風になれるのか。 by 北野武
2012/12/12

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それで、勘違いしてしまったのだろうか。努力すれば夢はなんでもかなう、と。
だけど、それは大間違いだ。今も昔も、物事の本質は何も変わっていない。正しくいうなら、努力すればかなう夢もある、だ。
どんなに努力してもかなわない夢で、世の中は溢れかえっているじゃないか。 by 北野武
2012/12/12

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物わかりのいい父親が多すぎる。父親が子供に媚びを売ってどうする。結局は自分が可愛いだけのことなんじゃないか。
父親は子供が最初に出会う、人生の邪魔者でいいのだ。
子供に嫌われることを、父親は恐れちゃいけない。 by 北野武
2012/12/12

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マイホームパパだかなんだか知らないが、いつもニコニコ笑っていて、子供の気持ちがよくわかる、物わかりのいい父親が理想だなんてことになった頃から、どうも教育がおかしくなった。子供の気持ちなんて、そんなものは、大人なら誰だってわかってる。どんな大人だって、昔は子供だったのだ。わかってはいても、駄目なものは駄目なんだと父親が教えてやらなきゃいけない。 by 北野武
2012/12/12

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そもそも親子が仲睦まじいというのが、どうもわざとらしいというか、俺には耐えられない。父ちゃんなんてものは、煙ったくて、おっかねえくらいで、ちょうどいい。 by 北野武
2012/12/12

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最先端の物理学の本を読むと、量子力学の不確定性原理なんていって、「あらゆるものは振動である」だとか書いてある。そうすると、人間の思考ってやつも振動で、魂も同じように、目に見えないけれど振動であると考えたら……。
地球はこれほどうるさい星はないっていうくらい、宇宙空間に電波を放射している。その電波も、振動であって物質じゃない。物質じゃないものが、この宇宙には確かに存在している。それなら、人の魂だって、物質としての肉体が滅びた後も、その振動という状態で存在しているかもしれない。
荒唐無稽な話といえばそれまでだ。
だけど、少なくとも、死ぬということは、その荒唐無稽な考え方が正しいか正しくないか、死んだ後のことがわかるかわからないかの賭けに出るということでもある。
それだけは、ちょっと楽しみだなあと思う。 by 北野武
2012/12/12

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誰もが最後は死ぬわけで、死ぬのは恐ろしいけれど、その反面で面白いこともある。少なくとも、死ねば、死んだらどうなるかわかるのだ。
正確にいうなら、わかるかもしれない、か。
というのは、死んでしまったら何もわからなくなるという可能性もある。人は死んだら、バラバラの元素に戻るだけで、わかるとかわからないとかいう前に、存在そのものが消えてしまうんだよという考え方もある。
それこそ、理科系的に考えれば、結局は無に還るだけ、元素に戻るだけなんだろう。人間の意識というものも、結局は物質から構成されているのだとしたら、元素がバラバラになった時点で、その存在は消えるというだけのこと。 by 北野武
2012/12/12

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死んだらどうなるか。それは誰にもわからない。
死後の世界を見たとかいう話もあったけれど、あれは死んだのではなくて、あくまでも限りなく死に近づいたという話だ。完壁に死んでしまって、肉体が滅びてから、この世に戻った人はいない。
つまり、ほんとうのところ、死んだらどうなるかを、実際に体験して知っている人間は一人もいない。 by 北野武
2012/12/02

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いわゆるキリスト教的な神は、俺にはあまり馴染みがない。
昔の日本人がよく言ったように、お天道様が見ているという方が俺の心にはしっくりする。何をするのもお前の自由だ、でもお天道様はいつも見ているんだよという感覚が、神様と人間との関係で言えば、いちばん理想的な距離感だと思うのだ。 by 北野武
2012/12/02

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神様はいるのかいないのかと考えたり、議論をすること自体が、すでに神という存在を前提にしている。神という以外の言葉はないのかと思う。だけどそういう言葉はないわけで、神という言葉を頭の中から取り払うのは、ほとんど無理なんじゃないだろうか。その言葉が頭の中にある限り、完全に信じてはいなくても、心のどこかにそういう存在が絶対にいないとは限らないという思いが残るのだ。 by 北野武
2012/12/02

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もし死ぬことが恐くないということになったら、宗教なんていらなくなる。人が宗教に頼る最大の理由は、やっぱり死への恐怖なのだ。死後の世界を誰も知らないから、それを教えてくれる宗教を求めるわけだ。そして、天国と地獄という概念が生まれた。 by 北野武
2012/12/02

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天国や地獄が本当にあるのかも、神様がいるのかいないのかも、誰も証明したことがないわけだ。そういう曖昧な状態なのに、生きる意味を探せなんてことを言われたら、誰だって迷うに決まっている。自分の能力だけで、その迷いから抜け出せる人間なんて、ほんの一握りなのだ。 by 北野武
2012/12/02

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だいたい、今の社会は、人生とは何かとか、人間の生きる意味は何かみたいなことを、言い過ぎる。若い人には、それが強迫観念になっている。何かというと、そういうことを言う大人が悪いのだ。自分たちだって、生きることと死ぬことの意味なんか、絶対にわかってないくせに。 by 北野武
2012/12/02

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子供がいじめられて、仲間はずれにされて、自殺するという話をやたらと聞く。
イジメがどうのという前に、仲間はずれにされたら生きてはいけない、という子供が増えているんだなあと思う。ということは、たとえば小学校のひとつのクラスのメンバーであることの方が、死ぬとか生きるってことよりも重要だと、子供たちが感じているってことだ。
大人たちは誰も、友達なんかいなくても人は生きられるんだと言ってやらない。 by 北野武
2012/12/02

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この世で起きることには、本来、何の色も着いていない。
そこに、喜びだの悲しみだのの色を着けるのは人間だ。 by 北野武
2012/12/02

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人類がこの地球上に出現して何百万年経ったか知らないが、死ななかった人間は一人もいない。人間は誰でも死ぬ。 by 北野武
2012/12/02

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自分を客観的に眺めて、生きていることを演出するとしたら、いちばんの理想は、いい映画を撮れたときに死ぬことだ。しかし、映画っていうものは完成した瞬間に、気に入らないところが次々に見えてくる。自分の映画に、満足することはない。満足するようじゃ、映画監督なんて続けられない。
だから俺も、生きることに興味がないなんて言いながら、いざ死神が現れたら、こう言ってしまいそうな気がする。
「あと1本だけ映画撮らせてくれねえか」
人間、歳を取ると図々しくなる。 by 北野武
2012/12/02

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身体は、どんな状態にあっても、生きようとする。
自決っていうのは、その強い本能を、精神が屈服させるということだ。肉体の運動をコントロールするのは精神だけど、その究極は、頭で肉体を殺すこと。三島(由紀夫)さんはつまり、それをやったんだろう。肉体を死という究極の命令に従わせることで、屈服させたんじゃないだろうか。 by 北野武
2012/12/02

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俺はいつでも死ぬ覚悟はできているぜ、なんて、格好のいいことを言うつもりはない。
ただ淡々と、いつ死んでもいいかなと思う。そういう意味じゃ、生きることにあんまり興味がないのだというしかない。 by 北野武
2012/12/02

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あの(バイク)事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかないのだ。 by 北野武
2012/12/02

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生き延びたことは、素直にありがたいと思う。助けてもらった生命を、大切にして生きようとも思う。あれ以来、バイクもクルマの運転も一切やめた。あれだけ吸っていた煙草も、息切れがするからやめた。ついでに酒もやめればいいんだろうが、そこまでしたら、何のために生きているかわからなくなりそうなので、完全に断ってはいない。「酒をやめ、タバコもやめて仕事して、女も抱かず百まで生きたバカがいた」なんて歌があったが、そんな人生は真っ平だ。 by 北野武
2012/12/02

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芸人をやって、映画監督をして。ビートたけしをして、北野武でもいるという今の人生は、ほんとうに疲れる。
物体は激しく動けば、それだけ摩擦が大きくなる。人間だって、激しく動くと熱を持つのだ。端(はた)から見れば、輝いている人間のことが、きっと羨ましく見えるのだろう。
だけど、輝いている本人は熱くてたまらないのだ。 by 北野武
2012/12/02

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